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暗渠こぼれ話:植竹遊歩道はむかし

私が大宮に引っ越してきたのは昭和33年の夏.そのころ,植竹遊歩道はまだ道(暗渠)ではなく,細い川が流れていました.川の両側は田んぼや草地で,家はまだ数軒しかなかったと思います.小川には人ひとりが歩けるくらいの土手があり,小学2年生だった私も<岸のスミレやレンゲの花に♪>ではありませんが,草を摘みに行ったものです.といっても歌のような「さらさら」流れる水ではなかったように思います. 


というのは,遊びに来ていた従妹と土手へ遊びに行ったとき,足をすべらせた従妹が川に落ちて――浅かったので難なく土手に引っ張りあげることができましたが,足も靴も服もドロドロになった記憶があるからです.さらに家に帰ると母親たちに「臭い!」と言われたくらいですから. 

転居した年の秋,台風が来ました.夜の間中激しい雨が降り続き,翌朝には川や田んぼの辺り一帯が池のようになっていました.水のなかに取り残された人々が舟で救助されているのを見たような覚えがあります.これはたぶん昭和33年9月の台風22号で<市内各所で出水 死者1名,床上浸水575戸,水稲冠水992町歩>の被害があったとか.川は,盆栽村から宇都宮線の源太郎踏切を越えてすぐ下,ちょうど谷にあたる場所にありますが,私がこんな光景を見たのはこのとき1度きりです. 

この大水から約10年後,昭和42年の『日興の住宅地図』にはまだ「川」や「田」の地図記号が記載されているのですが,そのころには私も土手で遊ぶ年齢ではなくなり,それきり川のことは忘れていました.そして,いつ変わったのか気づかないうちに,小川は遊歩道(暗渠)に,田んぼや草地には住宅が立ち並んでいました. 

                           (記・イラスト 並木せつ子)




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